2014年2月18日火曜日

今更ながらの(中国語から学ぶ)「起承転結」の本当の意味


今更ながらの(中国語から学ぶ)「起承転結」
僕には、理解できなかった「承」が、やっとわかった。Wikipedia でさえ、超いい加減な説明をしている。
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起承転結の文章の中での使い方
は、文章の始めで単刀直入に、明確に論点あるいは論題を書くところである。
は、「責任を持って、担う。」という意味で、中心となる論点を受けて、肯定的な側面、否定的な側面を考え、自分の観点を詳しく述べる。
は、3種類の情況に分かれる:
肯定的な意見から、否定的な意見への移行、
否定的な意見から、肯定的な意見への移行、
肯定的な意見から1歩進んで更に一層深い考察をする
は、文章の全文の総括を行い、全ての論証を終える部分

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少し補足すると、“承”の真ん中の部分は、子供を示す象形文字。「承」の右側と左側は、両手で子供を抱えている。

なので、「承」は、「責任を持って、(子供を)担う。」という意味。起承転結で、一番大事な部分は「承」の部分で、「自分が責任をもって飲み込んで、こう私は思う」というのが「承」の意味です。

 

 

2013年10月18日金曜日

未必、不必、何必 の違い

「未必」は、「必定」(かならず、きっと)の否定。
必ずしも…でない。

と辞書には書いてある。でも、よく「未」の意味を考えてみると、「未」は、「未だ(まだ)、…に至っていない」という意味。
だから「未必」は、「『必要』な状態に至っていない。」という意味。
だから、「必ずしも必要ではない」と言う(部分否定的な)意味になる。

「不必」は、「必」(…しなければならない)の否定。
…する必要はない。
(これは簡単です。)

「何必」は、
「何」(何故)が付いていることもあり、疑問文に用いられる。疑問文で、「何」が付いているので(「什么」と同じように疑問詞が付いている)、「」ではなく「呢」がつく。

…する必要があるのか?(→ …しなくてもいいのではないか?)

となる。

2013年8月30日金曜日

「宁可」の本当に意味は、「…した方がいい」という意味だけなんです!


今日は、「宁可」についてです。
中日辞書には、以下のような(意味に一貫性のない)訳が載っています。

与其宁可~
…に比べたら、むしろ~


宁可也不~
むしろ…したい。~よりも


宁可…, 也要~
たとえ…しても、~をしなければならない。


いろいろな場合によって、「宁可」が、「たとえ…」と訳されたり「むしろ…」と訳されたりします。これもまた、文脈で意味を解釈する日本語の難点です。

宁可」の、「」の意味は、「安定する。安らかである」という意味です。
人間は、安定していた方が、安定していないより、いいに決まっています。

だから、「宁可…」というのは、「…した方がいい」という意味です。
「可」は、「可能性」だと思えばいいでしょう。
そうすると、上記の三つの例は、

与其宁可~
…に比べたら、~した方がいい。

宁可也不~
…した方がいい。~よりも

宁可…, 也要~
…した方がいい。~をしなければならないのなら。

どうですか?「むしろ」とか、「たとえ」とか文脈依存の尾ひれはひれがなくなり、「宁可」が一つの意味で理解できるようになりました。

これで何も怖いものがなくなります。この意味は、「むしろ…」だったかなぁ、「たとえ…」だったかなぁ、どんな場合が、どっちの意味になるんだっけなぁ、なぁんてことがなくなります。

2013年8月28日水曜日

与其 A… 不如 B…の研究


「与其 A… 不如 B…」という表現があります。

「与其」の意味は、「それ(其)」と「と(与)」なので、単純に「それと」という意味です。

つまり、「Aと」→ Aを何かと比較したい気持ちになっているので、「Aと(与其 A)」という言い方をまずして、比較対象を特定する。

後半の文章が言いたいんです。


「不如 B」は、…Bには及ばない(…のようではない→には及ばない)という意味で、比較したい気持ちで、結果的には、「こっちがいい」という表現です。


単純に言うと「意味はAと(比べると)、Bの方がいい。」となります。

初級者であれば、これは、無理やりイディオムとして覚えればいいのですが、もともとの言語の成り立ちを考えると「与其」は、単純に話したい対象を指し、「それと」もしくは「それは」という意味にしか過ぎない。

中国人は、一気に、「与其 A… 不如 B…」→「…と比べれば、…の方がまし。ずっといい。」みたいに使います。

中日辞書には「…より」なんて、比較を意味するような日本語が訳としてついているけど、「…より」という意味は、「与其」には、実は入っていません。

「…と(与其)」という意味から、自然発生的に出てくるのが「比較」の感覚です。
どうでしょうか?
 

2013年7月28日日曜日

如果、假使、假如、即使、纵使は、ニュアンスが違うはず!


如果、假使、假如、即使、纵使は、ニュアンスが違うはず!

結論的には、すべて「もし…ならば、」という意味だと思う。 でも、敢えて意味を文字から解釈してみると、

如果:結果が、こんな感じだったとしたら、

假使:仮に、こういう風な表現を使ってみたら、

假如:仮に、こんな感じだとしたら

即使:試しにこういう風表現を使ってみたら

使:こういう使いかたを、まぁ許してあげるとしたら

(他に、假比、假若というのがありますが、覚えなくてもいいです。)

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さて、上記の仮説の元中国人の友達に聞いてみました。

「如果」は「もしも」のような一般的な表現で、特に場面特定がないという感じ。如果你喜欢这件衣服,我可以便宜卖给你。

訳:もしあなたが、この服を気に入っているんだったら、安く売ってあげられるけど。

 

「假使」と「假如」は似ていて、「假如」の方がもっと一般的な表現で、多く使われています。両方とも「仮説」「仮定条件」を表します。

假如你两件,我可以你打7折。

訳:もしあなたが1着買うんだったら、3割引きにできるけど。

 

「即使」は訳したら「...としても」という意味だと思います。少し転折(前文と反対の意味を持たせる)のニュアンスがあるような感じ。

如果你喜欢这件衣服,可以试试看,即使不,也没有关系。

訳:もし、この服が好きだったら、着てみてください。川名育ても、別にいいから。

 

使」は訳したら「即使」のように「...としても」という訳文になるかもしれないが、許してあげようというニュアンスは確かにあります。

使他有千,但只是一个孩子,原他吧。

訳:たとえ彼が一千個の間違いをしようが、一万個の間違いをしようが、しょせんまだ子供なんだから、許してあげれば。

 

2013年7月23日火曜日

但是、可是、然而の違いって何?全部「しかし」という意味?

但是、可是、然而の違いって何?
それぞれ字が違うんだから、意味は違うはず。
「但是」は、「但」とついている以上、「ただし」という意味だ。前文ではこういっているけど、「ただしいう場合もある。」という意味になる。
「可是」は、「可」がついているのだから、前文でこうだ。「だけど、こうとも言うことができる(可能)。」という意味になるはず。
「然而」は、「而」がついているから、「もう一方では、」という意味になり、「然」は、状態を示し、「もう一方の状態では、
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さて、以下は、上記を踏まえて、中国人の友達に聞いた結果です。
「但是」は、「ただし」と似てて、異見や決断をハッキリ言う感じ。
虽然我很喜欢这件衣服,但是太了,是决定不了。
訳:この服とても好きなんだけど、でも高いので、買わないことにした。
 
「可是」も「しかし」、「なんだけど」という意味で、「但是」より言い方が柔らかい。 虽然我很喜欢这件衣服,可是得有点,不是不了吧。
訳:この服とても好きなんだけど、ちょっと高いんだけど、価値があまり高くないし、やっぱ、買わないことにしようっと。
 
「然而」はもっとフォーマルで、客観的にその反面を述べる感じ。 虽然我很喜欢这件衣服,然而色并不适合我,我决定不了。
訳:この服とても好きなんだけど、色が私に合わないので、買わないことに決めました。
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これで、感覚は、ばっちりですね。

2013年7月21日日曜日

「一陣の風」の「一陣」って何?

「一陣の風」の「一陣」って何?

僕は、この言葉に疑問を抱いたのは最近のことです。大体、武田信玄が戦場にいて、風林火山だとか言っているときに、風が吹いてきて、それを「一陣の風」と言うシーンしかイメージできませんでした。

でも、この「一陣」は、中国語で、「」であり、何かがある一定時間起きている状態を示します。
なので、「一阵风」は、あるしばらくの時間、風が吹いているという意味です。
同じく、「一雨」は、あるしばらくの時間、雨が降っているという意味です。
これを「一陣の雨」と訳す人は、少なくても最近はいないでしょう。

「一阵剧(jù tòng)は、「しばらく激痛が続いた。」という意味です。

中国語は、量詞が一杯あって覚えるのが大変と思うのは、最初からたくさんのものを見せられるからです。一つずつ意味を理解すると、こんなに面白いものはありません。
日本語は、中国語を輸入した時に、多くが抜け落ちて、断片的に吸収しているので、量詞の数が間引きされてしまいました。
まぁ、「一阵风」に関しては、「ひとしきりの風」のように訳してかまわないですね。

でも、先に投稿した「一只狗」,「一条狗」に関しては、どちらも「一匹の犬」と訳されてしまいます。
ニュアンスの違いが、無視されてしまいます。

もっと、量詞を楽しみたいものですね!