2015年2月22日日曜日

受け身を作る表現「让」、「叫」、「给」は、そもそも違うもの


」という字は、もともと、提供する、与えるという意味だった。誰かに、何かを与える。「誰かに」というのは、誰かから誰かにという方向性を持っている。

だから、その方向性だけが、独り歩きし始める。それが、「…へ」とか「…に向かって」という意味になっていく。

请给我看看」の「」の部分は、「私に何かをやらせろ」という意味。「何かをする権利を与えろ。」とも解釈できる。

请给我看看」は、「私に見させろ。」→「私が見てみる。」という意味になる。

 

」というのが、使役なのか、受け身なのかという議論をするのがそもそもおかしいのです。日本語とか、英語にマッピングするとかしようとするから、面倒くさくなる。その言葉自体を感じることが大事。

 

」は、譲(ゆずる)です。私(だれか)に、それを行う権利を譲れと言うのが元々の意味です。

それで、「…にやらせる」と言う意味になります。

 

「叫」は、「だれかを呼びつけて『やれ』と命令する」ことです。だから、「呼びつけない」場合には、使えません。

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