「才」という字は、
もともと甲骨文字です、上の横の棒は土地を表していて、次に草木の茎(新芽)に似て下の部分がちょうど土から出てくる感じ。その枝葉がまだ目を出していない様子。
この感覚が大事。
だから、この“あるまとまった時間”をイライラして待っている時間だとしたら、「才」は、「やっと」という意味になる。
待っていたお父さんが、残業していつもより遅く帰ってきたら、「あぁ、やっと帰ってきた。」となる。
「都十点半他才回来」(最初の「都」は、「已经」の意味で、「もう10時半だ。やっと彼は帰ってきた。」という意味)
今まで友達と話していた時間が、この“あるまとまった時間”を示していて、友だちは帰るとする。その直後に別の友だちが来たときに言うセリフは、「Aさんは、たった今帰ったところです。」となる。「他才走(彼は、たった今日でたばかりです。)」
話は、変わりますが、上記の元々の意味を考えると、植物の芽が出てくるイメージなので、「才能が芽生える、才能がある」という使われ方をしはじめた。
芽が出るイメージなので、「わずかに、少し」という意味が生まれる。
道理にかなっていますね。
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