中国語の辞書では、「只有…、才…」は、「…してこそ、初めて」と訳しているけど、そんな熟語的に覚えなくていい。
例えば、「只有这样做,才能解决问题」(こういう風にすれば、問題を解決できる。)
では、「ただ、次のものがあれば、(ことは足りる)」という前文だけで意味は成り立っている。
その次にくる文の「才」は、「やっと」という普通の意味に過ぎない。
「有」が持つ「完全に存在する」という意味を考えると、「それだけ充分揃っていて、(やっと)…できる。」という感覚になる。
片や、前回お話した、「只要…、就…」は、いろいろある条件の中で、一個でも成立していれば、「就(次の状態に近づける)」という意味だ。
これで、2つの大きな違いは理解できたかと思う。
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